スラムダンクを学生時代に読んだ人も多いと思います。
少しスラムダンクについて説明をさせて頂きますと、元々不良だった桜木花道が、背の高さと身体能力からバスケットボール部の主将の妹、赤木晴子にバスケット部への入部を薦められるところから始まります。
参考:http://www.tecotec.co.jp/sp/news/20130827.html
http://slamdunk-sc.shueisha.co.jp/
http://www.noshitech-h.akita-pref.ed.jp/
そして海南大付属、翔陽高校、陵南高校といった高校と争いながら無名の湘北高校バスケ部によるインターハイ出場、全国制覇を目指していく話です。
その話の中で、最後に戦うのが最強の存在として立ちはだかる 「山王工業高校」です。
今回は、その山王工業高校のモデルとなったと言われる、能代工業高校を紹介させて頂きます。
その能代工業高校の強さ、実績は 漫画の中の山王工業高校以上と言えます。マンガを超えるまさに伝説です。
ここで、少し能代工業高校について説明させて頂きます。
能代工業高校は 秋田県能代市にある県立高校です。バスケットボール部は、1933(昭和8)年に創部されました。1967年(昭和42)年の埼玉国体で初優勝以来、全国高校選抜(春の選抜・ウインターカップ)、 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、国民体育大会を通算して、計58回の全国制覇を成し遂げているバスケットボール名門チームとして、 全国に知られているチームです。
史上初の 3年連続三冠 「9冠」を達成
三冠とは 1年間で「高校総体(インターハイ)」「国体」「全国高校選抜(ウィンターカップ)」の3大タイトルを制することです。1年間だけでも達成することが困難な三冠を1996年1997年1998年の3年間。。。その全てで達成するというとんでもない偉業を成し遂げます。
ちなみに達成をしたときの、1997年 3大タイトル決勝戦のスコアは
◎インターハイ 能代工 120 – 58 洛南 (京都)
◎国体 能代工 105 – 80 東京都選抜
◎ウィンターカップ 能代工 134 – 77 山形南 (山形)
となっています。決勝戦なのに圧勝です。ダントツの強さということが分かると思います。
ただでさえ困難な3年連続三冠ですが 、このときの伝説の9冠達成の最初1996年は主力が3人の1年生、2人の2年生というメンバーでした。その1年生のメンバーに、田臥勇太(たぶせ ゆうた)がいました。すこしこの選手についても説明したいと思います。
田臥勇太とは?
日本のバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。神奈川県横浜市金沢区出身。リンク栃木ブレックス所属。日本人初のNBAプレーヤーで、高校時代には世界ジュニア選抜に選ばれた。身長173cm。
ちなみにこの田臥勇太は、スラムダンクの沢北のモデルと言われています。
その田臥勇太選手が言っている言葉があります。
何回も能代弁で叱られ、何回も英語でも怒鳴られ、
そのうちの何回かは理解できなかったけれど、
何回も小さいから無理だと言われ、
何回も大男が落ちてきて怪我をし、
何日も眠れない夜を過ごし、
何回も人の言う事に耳をふさぎ、
何回も逃げ出そうと思った。けれど、
何万回もパスをし、何万キロもドリブルして、
何万回も相手をフェイクし、何万回も速攻を出し、
何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履きつぶし、
僕はアメリカのコートに立った。
でも、僕の旅は終わりじゃない。
これは始まり。
NBA選手になった後も、様々な挫折を味わった選手です。
話は戻りますが、能代工業高校は現在は全国で圧勝出来なくなってきています。バスケットの競技人口も増え、強豪校が増えた事も理由だと思います。
様々な伝説を作った能代工業高校のこれからの活躍も楽しみですね!
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